径1センチのちりめんの周囲を縫って縮めるというようなくり返し。それが細工物である所以だろう。しかし私も人形作りだが、これは出来ない。細かいことが出来る人は意外と多いようだし、浜肇子の指先から生まれたものが多くの人が楽しめるものになっていけば、それが作者の本望なのだ。工房があり住まいがあるこの町は,普通の住宅街だけれど、小高い山に挟まれ、古都の一角ということもあり緑が多い。築100年は超えるのではと思える我が家の古い屋根や外壁には、台湾リスが忙しそうに走り回っている。少し前には、初夏には脇のお稲荷さんのケヤキの大木でアオバズクが鳴いていた。たまにコジュケイの家族が庭を横切る。傷付いたタヌキがヨタヨタと現れたこともある。冬の今も、庭のそこここにモグラが小さな墳墓のような土の盛り上がりを作っている。鳥の姿や声も絶えることが無い。そんな中、アオバズクは去り、10年程前には主のような姿を毎年見せていた大きなガマガエルが消えた。生垣の葉から、小さな色鮮やかな、アマガエルが見えなくなり、同じようにカタツムリの姿が無い。アブラゼミが少なくなってクマゼミが増えた。ごく最近、自然の岩がむき出しで特有の雰囲気をかもし出していた崖が、危険だという理由で無粋なコンクリートで覆われた。マンションも増えた。こんな狭いエリアでも環境の変化に伴い生物たちのありようも変わ
人間の暮らしもちょっと昔に比べても変化は大きい。比べる余地も無い。
 ここに収められたものはごく一般的なもので、誰でも知っているといっていいお話しだが、昔、むかしあるところに生まれた幾多の口承伝説類の1部である。たとえ自然が残されていようとも、今の時代こんな話は生まれない。何百年先伝えられているものがあるのだろうかと考えても、まったく浮かばない。相変わらず年寄りが桃太郎の話を子や孫に聞かせているのだろうか。そんなことも余り考えられない。江戸ちりめんというのものが無くなり。昔ばなしというものが消えていて、印刷物として残したこの本が、例えば何百年先に残っていたとしたら、どんな目で見られているかが興味深い。まったくの手仕事によるちりめん細工のような作業に、思いを込めるものがあるとすれば、人間も自然の一部であるという認識しかない。
                       
            
作品、技法集 にっぽんの昔ばなし 「昔、むかし・・・」マリア書房  あとがきより 
                                                
 浜 いさを
  



   



昔 ばなし
          

       
 
上から 桃太郎鬼退治  兎と猿  左 泥舟  右 あまんじゃく  一寸法師  聞き耳頭巾1・ 聞き耳頭巾2  下 鶴の恩返し