作品制作の過程を完成まで公開します   開始 200'7年 5月1日

1 針金に布切れを巻く。この段階で完成イメージができている。 5月1日

2 まとめて形にする。信じてもらえないだろうが、少女像である。
芯が針金と布であることは、後にポーズを変えたいときに有効になる。

3 張子紙を貼ってまとめ、少々の厚みを出す.
座高35センチ。B..W.Hは未定



 しょうふ(小麦のでんぷん)に水を混ぜ、火にかけて濃い目の糊を作る。桐粉を混ぜて練り、桐塑(とうそ)にする

 約1センチほどの厚さに桐塑を貼り付けていく。この段階でジジイの妄想は走っている。

6 ポーズを少し調整し、細かい部 7 針金に脱脂綿を巻いて指にする。腕の部分に綿を巻 8 掌、腕の部分に大まかに桐塑をのせる
分を残して全体に桐塑をのせてい   いて芯にする。綿の繊維で細い部分が非常に丈夫。     
く。この段階で1ヶ月ほど陰干し。
その間外国旅行に行くつもりであ
る。・・・などと一度ぐらい言ってみ
たいものだ。

9 ひびはこの段階では思い切り入れておく。大きなひびがあるほど乾いているということになる。

10 桐塑でひびを埋めながら、乾いた上から
大まかに形を少しずつつけていく。

11 胸や鼻、口。あごなどの形を作っていく。

12 目、耳

13 足の指
14
 このあたりでは珍しい二日続きの激しい雷。いつも仕事中はつけっぱなしのラジオも、雑音ばかりで音楽も声も聞こえない。変わりに雷の激しさを放送している。OFFにする。やがて大量の雨が土を、木々を、草を、屋根をたたいてすさまじく、あたりの空気を、雷の光と一緒に支配する。
 その中、目や、耳、足の指などをつくる作業をしていた。意外なほど集中できて、同時進行している同じシリーズの他の作品も一気に進んだ。それもなかなかいい出来なのである。それだけのことだ。そんな自然が好きだ。
 しかし梅雨の時期、真夏は渇きが悪くてやりにくい。
 今日,静かになったラジオが、梅雨が明けたと言っていた。
15  16 肩に腕を差す

17
桐塑で埋めて整える。

18 まだまだ削ったり足したりしながら、少しずつ形を作っていく。
19 出来かかりの作品を目に付くところにおいといて、何かにつけて見るようにする。上下左右、上から下から。すると気がつかなかった点が目に入って、手を入れる部分が分かるときが多い。
 一所懸命見ていても気がつかなかった所が何気ないときに分かるのである。どこか客観的に見ているのである。
 完成がようやく見えてくるこのあたりの進行具合のときは、特に時間をかけて点検するようにしている。だから実際に手を入れている時間よりも、眺めている時間の方が長い。大体作品というものは作っている時間よりも考えている時間の方が圧倒的に長いことになるのだ。手は経験上の流れで動くから、逆に考えながら作れるものではないということだ。
完成予定 07’11

20  毎日のように目をやって、気がついたところを少しずつ直していく。
正座をしているので足の複雑な絡みが難しい。下肢に全体重がかかるポーズなのでそれらしい形を取らなければならない。裸の作品は隠れるところがないので、まあ、いいや、というわけにいかないのだ。後ろから前から破綻がないか、細心の注意を払って見なければいけない。
 それでもようやく細部まで納得のいくものになったので、いよいよ仕上げの段階である。

 仕上げの最初は、下塗りである。
ジェッソでもいいと思うが、私は石塑を水に溶き、薄くしたものを何回かに分けて塗る。これはひび割れ対策である。
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 下塗りをして全身真っ白になった。塗ってからまた気がついた。
 顔がもう一つ納得いかない。
そこで少し削って修正すると、シャープな表情になった。鼻から目にかけてである。
ペーパーをかけてその部分を塗り直し。
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 下塗りをすると一見胡粉塗りのようなものになる。
 私は作風として、テカテカでつやのある肌合いは好みではない。いわゆるきれい過ぎる出来上がりは、私が目指す作品には似合わないのである。したがって磨くに磨くといったことはしない。むしろ少し指の跡が残るぐらいの方がいい。
 そこでなおかつ肌面をざらつかせるために少し磨いた後、粉を吹き付けるのだ。
           22 その上に糊を塗り、 桐粉を吹き付ける。         23 脱脂綿を細く巻いて髪にする。

25 髪、体全体に白を基調としたアクリル絵の具を2度に分けて塗り、目は薄く黒で描く
      12月3日完成
 
 ほぼ完成かな、という時点で改めて丁寧に見直すと、
細かい部分の破綻が見えてくる。実はそこから手を入れてい
る時間が結構長いのだ。本来の目的ではすでに完成してい
ると思っているから、それをより良いほうに導くための手入れ
といっていいかもしれない。
 気持ちにゆとりが出来て、それまで見えなかったところが
見えてくるということでもある。この作品のような比較的シン
プルなものでも、何箇所もそのようなところが出てくる。だか
ら作品というのは時間に追われて作るものではないというこ
とが分かるのである。私のような作風は、勢いで一気に仕上
げるというものでもないから、あるゆとりと客観性が必要なの
である。
 そんなことを繰り返しながら40年、数えたことはないが、た
ぶん小さいものも入れて500点は超えるだろう作品を生んで
きた。その中には発表してから後にまた手直ししたものもかな
りある。 実はこの作品のシリーズは他に5点同時進行で続
けている。先にこれを完成させたが、まもなく他も終わる。タイ
トルは未だない。


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